現在という時代は、既に何かが悪いというような時代ではない。
世界そのものが病んでおり、誰一人としてその難から逃れられる者はいない。
その事をはっきりと認識していないと流れる。
自分は病んでいないなどとは思わぬ事だ。
誰でもあの病が分かる程には身近にある。
あの夢のような事件が分からないと言う者には、この時代を語る事は許されぬ。
正しく、どんな評論をする事もできない、その起こった事を、そのまま、書くしかないという程にあの事件は複雑だ、小説にしかならない。
一つだけ聞くのであれば、現代の何が彼を生んだのか。
あの事件は、あのような事件を起こした者が、社会に対するコミュニケーションを取ったという事ではなかろうか。
捕まった時に、彼は普通の人間に戻ったはずである。
それまで、彼は、一体何者であったのだろうか。
あの夕陽は何を見ていたのだろうか。
彼はまるで人と話すのが嬉しいとばかりに話をしたそうである。
社会と係わりを持つためにあの手紙を送った如く、係わりがない故に、あの事は起こりえた。
もしこう考えるなら、彼には友人が一人もいなかったのである。
彼の友人とは、社会と交わる事そのものだったのだ。
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