構想力と実装力のぶつかり合い。構想力は包囲力、実装力は突破力。周りを包囲しがんじがらめにして動けないようにしてしまうか、包囲を強引にこじ開けて突破してしまうか。という感じで囲碁を見る。
2013/08/02
手をとめて窓の外には蝉がいる
2013/08/02
Maria Mitchellみたいな人がジブリの映画になればいいのにな。
2013/08/04
詰まらない企画を荒らして持たそうとしている感じ。
音声の切り替えが下手。
これだけ人をそろえてもったいないとしか言いようがない。
パスワークが外れまくり。何故だろう。
なんか矢部の存在感を感じる。仕切らせたらずば抜けてるのかも。
奇行は破壊力が大きいけど使いどころが難しい。外す確率も高い。あと主力ではない。
2013/08/05
夏に秋の混じった風が吹く。
2013/08/06
いい俳優は声がいい。ロバートダウニーjr
2013/08/06
感情移入して映画を見る、成程その手があったか。
2013/08/06
宮崎節がある以上、好き嫌いは生まれる。だがそんなものは表層に過ぎない。それを剥がして掘った所に何が埋まっているのか。
2013/08/07
テレビから学芸会は一掃したい。
2013/08/09
平安時代は恋の歌が華やかだが歌の上手い連中の殆どはゲテ物食いであった。面食いには不遇の時代である。歌で口説き落しても会った瞬間に萎えるのが普通だった。これはそんな貴族の青年が理想の人と巡り合うまでの物語である。
2013/08/10
自分たちは戦争のなんたるかも見つけられず戦後を解決できなかったのに、若者を前に知識合戦で喜んでいる。醜い老人だと思わないか、なあ田原。
2013/08/11
カエルと呼ばれる沈思した哲学者。
2013/08/11
忍び寄る白い影が黒い。
2013/08/12
脳を冷やそう。
2013/08/12
マクドナルドって接客業からは足を洗ったんだなあ。
屑肉の安売り王。これはカッコいい。
2013/08/12
ぱんつを脱いでない論は公式見解ばかりで本音を語っていないという事だ。だがファンからすれば着込んだ服の上から裸の姿を想像する楽しみもある。脱げばいいものではない。宮崎駿が脱げばすごいんですってのは服を着ててももう十分に分かっている。
2013/08/12
jobsはなにも液晶だけをタップしたかったわけじゃないと思うんだよ。ST的なものだからね。フィーチャーフォンはボタンボタンして蒸気機関的SFを目指すべきと思うんだよ。
2013/08/12
テレビの前の議論は一度に一人しかしない。激論の方が視聴率に繋がるといった思惑もある。誰かの発表の間も意見や感想をtweetしてれば同時進行できるし無理して異論を戦わせる必要もない。テレビで議論を戦わせようとするやり方は既に古い。
2013/08/14
現実と虚構の区別が付かない人の話など最初から聞く必要はない。意見の正しさがあれば全てが正しいと考えるのはばかの壁だ。風たちぬで煙草を吸うのがけしからんとか、映画の前に警告をとか、ましてやヘビースモーカには反原発が多いとか、its a wonderful world。
2013/08/14
運動家というのは自分の意見が通れば世界がどうなろうが知らないのだ。自分の意見で世界が歪んでもそれがまっすぐに見えるのだ。世界に神の欠損がありそれに変わって命を護るものに価値をおく。たぶんそういう構造。
2013/08/14
やっぱり Windows は駄目だ。10年後に Microsoft が潰れていても驚かないし、20年後に存在してたら本当に驚く。
2013/08/15
ある経済評論家は彼自身のB級さに存在価値でありBクラスの見本として見てきたがこれ以上はもう必要がない。
2013/08/15
希望や仮定から出発した推論はどこまで行っても仮説の域を出ないが、推論を二、三回すると真実として使う事が出来るようになる。仮説ロンダリング。
2013/08/15
ステレオタイプな感傷を述べるのに戦争を持ちこむなよ。
2013/08/17
はだしのゲンの画風に好き嫌いがあるのは当然として画風が嫌いだから読めないというような人は一生何を読んだところでたいした感想が聞けるわけもない。悲しみに嘆く人を単に顔が嫌いだからと通りすぎるような人と話す価値があるのだろうか。
少なくとも二巻までは読もうよ。はだしのゲンは漫画ではなく慟哭なんだから、そういうもの例え救えなくとも意見が異なろうと付き合える人間にはなりたいものです。
はだしのゲンの絵柄は癖があるんだけど、じっと見れば洗練されている。黒をあの様に使った漫画は稀有だ。漫画をただの娯楽だと思う人はただの娯楽として一生楽しんでいればいい。僕はごめんだ。
どちらかといえばゲンの絵柄でのアニメがない。
2013/08/17
宮崎駿は、大衆を大衆として描く。大衆として描かれた人たちが全員同じ(または2、3の)リズムで動くから、そう感じるのだろう。
2013/08/17
愛着はないが高速に動くのと、愛着はあってものっさりのろではどちらのブラウザを使うかは明白だ。
2013/08/17
彼らの自治権に口を出すべきではないし、彼らが問題と思わぬならそれで良い。それが問題であり市民が知らなかったと言うなら、再度広く知らしめ意見を聞き決めればよい。どちらにせよ声が大きいと言うだけで意見が通るのは民主主義的ではない。
2013/08/18
坂道をぐんぐん登る自転車の通り過ぎるを見送る夏
2013/08/19
平安時代の貴族に「どうも貴族の娘はすかん、百姓のなかに美人が多いように感じる」と悩む青年がいた。友人に相談したらお前は変態かと諭された。それでも彼は足繁く荘園へ視察に出かけた。彼は頻繁に農地をみるうちに農法を改良し税収をあげ、出世することになった。
2013/08/19
新聞というものは囲碁将棋とテレビ欄を除けば、どうやれば印象を操作し世論を誘導できるか、そのテクニックを学ぶのに最適の教材だ。一日に一回は丹念に読んで読解力を鈍らせないようにしたい。
2013/08/19
選択の自由は与えても選択肢を作る自由は与えない。
2013/08/19
フクラガエル、これはもう人だな。
2013/08/19
伝聞や政治思想の影響も個人の実体験のひとつ。
2013/08/20
不安は必ず将来に横たわっている。過去にはない。
先の事を考えたら必ず不安になる。将来を考える能力答えが見つかる能力ではない。それは不安を見つける能力だ。未来は不安で詰まっている。
不安事があるとしたら、それは来るべき姿が実ははっきりと見えているからだ。その姿を受け入れてみるか、どうか。出来る事はそこから。
2013/08/20
詰まらないドラマは登場する組織が必ずお粗末。まぬけがひとりふたりいる所ではない。
2013/08/21
お金によって人は他人と広く繋がる事が出来るようになった。見ず知らずの地球の反対側の人とさえお金の流れを追えば何処かで繋がっているはず。お金は言葉の代理として拡散する。
2013/08/22
組織としての運用があり得ないと思うガミラス。
2013/08/22
自分で納得しながら進んできたはずなのに随分と詰まんない所に辿り着いちゃったなぁ。
2013/08/22
君は人がゴミのようだと言ったそうだね?ようだとは何だね、ようだとは。人はゴミだろ。うろたえて、みっともない人だよ、君は。
2013/08/28
少しずつ指が移動するのでコリを見逃さない。全部の筋肉に当たる感じがいい。フジグラン緑井3Fアダージョ。
2013/08/28
すべての良い所取りが一番いいに決まっている。取り込むのに貪欲である事。それにも天性の才がいる。天才にも幾多の種類がある。つまり一人勝ちはあり得ない。
2013/08/29
風立ちぬ
生きめやも。風が吹いた、ひとりであっても生きてゆこう。めは未来を表し、やは意志を表す。もが自分への問いかけになっている。そう聞こえる。
かぐや姫の山や月は現代の山であり月である。風景のすべてが今の風景に見える。平安時代のひとが見た山でも月でもない。予告を見ながら、そう感じた。この映画はすごいと予感する。
日本という風景。だけども剽窃だ。どこかで見たシーンが続く。ホームズや紅やハウルで見た気がする。自分の作品からの剽窃という感じだ。当たり前の話なんだけれど。カプローニがいい。声がいい。飛行機で映画が動き始めた。
こんな地震の描き方を初めて見た。王蟲かよとばかりに瓦屋根が揺れる。そしてすぐに地震は止まる。この静寂とそれからの混乱とかいい。二度目の法則はあまり使っていない感じだ。
二郎の声。聞いて一秒経ってから庵野秀明と気付く。これはあれだ。あいつの声を知ってるやつが悪いってやつだ。初めて聞くのならあの顔を思い浮かべない。脳内から消せない自分が悪いか、これまで世間でべらべら喋ってきた庵野が悪い。いい声。
空母のシーンがいいな。あれはいい。千尋のくされ神を思い浮かべた。
この映画に戦争のにおいなんてひとつもない。それがにおうのなら映画からではなく自分の体臭からだと思う。僕たちは価値観を削ぎ落とさなければならない。理想を追いかけたら何の役にも立たぬ飛行機になるなぁ。機銃を乗せたら云々は人も荷物も運べない飛行機という事。
計算尺が物語の中心にある。2013/2013/08/号のニュートンに使い方が載っている。使い方を知っているだけで印象がだいぶ変わると思う。計算尺が使える人は見つべし。
汽車からの風景の遠くにある家家にも人が住んでいる。そういう風に感じられる様にするには風景を長く描く、通りすがりの人もきちんと描く。ちはやふる(漫画)には及ばないまでも。遠くの何かをセルで動かしておく。夢と現実のモブシーンの描き分け。
最後のシーンにはさようならとかありがとうの言葉があってもおかしくなかった。でもそうではなくてワインで良かった。
宮崎駿が言葉にしなかったものを言葉にしても仕方がない。言葉にしても仕方がないと思ったものを言葉にしても嘘になる。でも何かを書きたくなるとしたらそれは礼状かも知れない。この映画は礼節の映画だから。
レイ戦なんか嫌いとか言いながら、あんだけ美しい零戦を描きやがって、と思った。あんなに美しく動く零戦なんてどこにもない。
タバコの煙で前が見えない会議室のシーンさえなかった。気にするなら煙草よりも計算尺でしょう。
何か言葉にできないものがある。秘密でも思想でもなく彼が信じたものでもなく彼は信じられなかったものを描く。自分はこれを信じているが君に信じろなんてとても言える代物ではない。もののけに感じたあれ。
訳も分からず泣きそうな所が数カ所ある。理由は分からない。そのどれも宮崎駿が泣いた所じゃないだろう。スタッフの顔が思い出されて泣いたのかなあ。映画で涙が止まらなかったのは泥の河。
なんかよい日本の映画がやっと出来ました。という感じ。原作や実在の人物に敬意は表しても切り貼りして跡形もなくする。原作は幼虫で宮崎蛹を変態して作品になる。だから礼節はある。
音が耳に残った。いい言葉なら印象がある。悪い言葉なら単調。それさっき聞いた感が繰り返す。
なにかこうパチパチと野火が移ってきて取り囲まれて焼けてしまう。
タン タターンタ タタタターンータ タンター
2013/08/31
誰かに作ってもらった感動なんていらない。映画は目の前にある風景に過ぎぬ。そこににじみ出る人の形にたじろぐもんだ。
自分が座れる小さな空間を確保することが社会と関係することだ。書きたいことに迷いなどない。分かってもらうように描くことが難しい。作品とはそういうものだろう。それが自分を掘り当てるということではなかろうか。
めんどくさいと言っているのなら、もうはっきりと見えて分かっている時分なんだ。
この作品は擬似体験するものではないと思う。テーマを見つけるものでもない。いっしょに歩いてみる体験ではないだろうか。
自分の世界観を語るしかない。しかも饒舌に。作品が沈黙しているから。
2013/08/30
どの場所にいるかよりもどれだけ濃縮か。
2013/08/29
ウソをついている最中にまことしやかに本当を指摘されて困るのはどっちだと思う。
2013/08/30
人も河の水のように消えてゆく。だけれども河は今もここにあり、水が流れています。行く河の流れはたえずして、をあはれではない解釈で訳すのも面白いかも。Water flows on, but the river remains.より。
2013/08/31
0.07秒の遅れで姿勢異常となるアルゴリズムが分からない。姿勢制御の監視処理が検出されたエラーコードを全て姿勢異常に丸めていたと言う事かしらね。
2013/08/31
pacific rim
設定の嘘を全力でリアリティ持たせるのが巧い。その肝となるのが組織。組織として合理性を持って成立するなら本物に見える。必要ならその為の法律さえでっち上げていそう。
怪獣であれども寄生虫がいたりDNAを解析したりと合理的ー。しかし別世界の生物と同じ構造のDNAなのという疑問などはさむ余地のないタイミングで言うもんだから、素直に受け入れてしまう。マジックみたいなもの。
日本の巨大ロボットは坐って操縦が本流。この操縦はジャンボーグAのタイプか。
日本のロボットは万能感と自由の象徴。個人の手足の延長であり自己の拡大という感じ。Pacific Rim にあるのはヒーローになるためのツール。組織の中のそれぞれの役割を全うする事が大事という感じ。同じ巨大ロボットでもずいぶんと違うなと思った。
マジンガーの最終回と同じでやられて壊されて、そこから勝利に転ずるカタルシス。ストーリーはインディペンデンスデイの類型かも。最後まで世界観を壊さないでいた。でも最後の救援ヘリはきっとアメリカ海軍なんだろうなあ。そのリアルさ。
2013/09/1
組織ごと真剣に検討して大嘘をつくという点では邦画は全く歯が立たない。アメリカは組織運用の権化。怪獣が一番かわいそうだよなあ。ストーリーを普通に考えれば。怪獣も何かの象徴なんだろう。この象徴性を構図にすれば日本映画との違いも類似もはっきりするだろう。
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