2017年3月10日金曜日

2015/04/02
自民党の「勝つ側に付く」という理念は中国の台頭によって揺れ動き始めた。中国の台頭という政治的課題は明治以降一度もなかったから。

2015/04/03
海に沈んだコナンにラナが生きていきて生きてって語っている。ここから風立ちぬの生きてまで素敵だね。

2015/04/03
レプカの一件をただの事件として世界を巡る旅に出るラオ博士。斬新だ。この姿はまるでユパさま。また会えるわ、きっと。研ナオコの主題歌。

2015/04/03
100分de名著もたまには小室直樹をやろうよ。

2015/04/04
飽和攻撃こそ正義。

2015/04/04
まもなく貧しくて生産性の低い者たちは日本国民とは呼べない、と演説する首相が登場するだろう。誰もそれに反対などしない。その国への入場チケットを手にしようと入り口になだれ込む。

2015/04/04
ビルから落ちた人のそばで大丈夫かと聞き、脈を取り、うんたらかんたら会話した後に119してと言うセリフを吐くドラマ。これを書いた脚本家もこれを許可した監督も演技を指導する演出家も演技した俳優もこれに文句を入れないスポンサーも、まとめて全員知能がない事は明白です。これが日本製です。

2015/04/05
今年の夏が来る迄に相武紗季は30。えーーーー。今年の空は青いなぁ。

2015/04/06
ニューヨークの恋人は、ウォシュレットのないアメリカだから通用する物語。ウォシュレットのない19世紀なんてどれだけ好きでも付いて行けない。というか伯爵だって戻らないはず。

2015/04/06
駅前で警備が始まっていた。警備の基本は近づけさせない。近づいても実行させない。実行させても致命傷は避ける。致命傷を受けても取り押さえる。逃走されても捕獲する。逃げられても犯人は特定する。そこまで準備してもダメだったなら予算と人員を割かなかった上司が悪い。七重の壁で待ち構えるのだ。

2015/04/06
マスコミは美人が殺されると喜んで放送する。誰もが、女性スタッフでさえ、そういう意図はない態度を決して崩さない。もちろんマスコミの本意に善意はないからそれでいい。

2015/04/07
創造性とは可能性を捨てること。捨てた残りに何かがある。選択した可能性の価値は、捨てた可能性の価値よりも大きいと判断した。捨てた可能性の全てを網羅したわけではないが。

2015/04/10
日本の古典芸能とは結局、洋服の取り込みが出来なかった残りだろう。どんな民族も服飾を持つ。それどころか一万年前の人にも服飾がある。芸能と服飾の関係はとても大きいのか。

2015/04/10
論理を解さぬ文系の全体主義者で明治への復古主義者。そんな小さな世界に生きているのなら批判に値するだろう。

2015/04/10
速度と繊細さのトレードオフ。急げは多くのものを捨てるし、時間をかければ多くのものが間に合わない。どちらを選ぶか。

2015/04/13
司馬遼太郎の凄さは多くの人たちが関わった事業を描く時の人物の取捨選択にある。それが正解ではないとしても歴史を把握するひとつの土台になっていることは間違いない。太平洋戦争中の日本陸海軍を司馬遼太郎のように小説に出来た人はまだいない。

2015/04/13
照準の中に映った鹿の姿を美しくと呟く人間の傲慢さが狩る側にはあるのだ。その鹿が人の姿に変わるのはすぐだ。

2015/04/13
たった一歩動いただけで、全てはガラリと変わる。そしてその一歩はもう戻れない。

2015/04/14
気付かぬことは強い。気付くことは優しい。気付いて気付かぬ振りをするのは優しくて強い。

2015/04/14
短い時間では失敗に見えるものの中に長い時間が経てば成功に見えるものがある。

2015/04/14
何も語っていないのに凄いこと言ってるように見える技術。

2015/04/15
ちはやふる27はバラバラになったところから並列多重的に凝縮して全てが一点を目指すような予感がある。必要な停滞と助走。ビッグバンの直前。

2015/04/15
どれだけ遠回りであろうと一本の道でしかないのなら其れが最短距離だ。

2015/04/15
憲法は修正して積み重ねるものであって改正してなかったことにするものではない。ましてや丸ごと取り換えるならそれは革命だ。

2015/04/16
それでも自分のテンプレートに合わせて世界をぶつ切りにしたものだと自覚したい。

2015/04/19
大きな偏見を訂正しているのならそれは正しいと信じる。しかし実際は別の偏見で上書きしているだけだ。

2015/04/19
偏見の別名は真実である。真実の別名は極めて確からしい。全てを極めて確からしいと思っていれば一番良さそうだ。

2015/04/19
感覚として3という数字に特別な何かがある。それは3倍以上になったら何をしても敵わないと言う本能的経験則ではなかろうか。

2015/04/21
群がるイメージはナウシカによって上書きされている。腐海の蟲であり権力であり救いである。

2015/04/21
SVUもインフレが激しい。脚本の限界をシチュエーションに無理させて持たせている。それを俳優たちがなんとか留めている感じ。

2015/04/22
評価では仕事のことは分からない。仕事から評価は出る。非可逆の関係だと思う。

2015/04/24
テレビとは何も内容のないものを如何に内容があるかのように見せる演出の集合である。だからいつまでも放送が続けられる。結論を持たない技だけの世界だから。

2015/04/25
大げさに驚いて見せるのは印象を与え場を強調する。それによって話の方向性を決める。これは編集技術として有用な技である。難しいのは作為性を感じられたら不快になる点。跳ね返って致命傷を負った例としてゼットンに放ったスペシューム光線がある。

2015/04/25
脳髄の一番奥の方で何かを搾り出した。ギュンという一瞬。

2015/04/25
誰もが自分は正しいと語る。問題は自分が正しい事は他が間違っている証拠にはならない事。全て正しい。その立場で考える。答えも正しさも正義も疑問も過ちも悪も全て正しい。ならば違いをどう評価し選択すれば良いか。少なくとも正しいから選択するという考えは捨てる。我々は正義を愛さない。

2015/04/26
自分だったらその時代でも上手くやれる。だってこれだけ分かっているのだから。を始めなければならない。

2015/04/27

実写版のパトレイバーってリアリティーはガン無視の笑いを狙った映画なの?能天気以外の褒め言葉が見つからない。

まず犯罪にリアリティーがないのに犯人役にもそれなりの演技なんかをさせるからますますリアリティーを失って、その代わりを日常の一コマの中に見出すしかない。何気ない描写とか油圧の動きとか。

なぜアニメならそれでよいのに実写だとこれで駄目なのか。実存を信じられないものは価値がない。では架空の中に実存を得るためには何が必要だったのか。たったひとつでよいその何かが足りない。

アニメと実写では表情がもつ情報量が違いすぎる。過剰にならないようにするために記号化する、ピントをぼやかす、僅少にフォーカスする、絵にする。過剰な情報量は意識を散漫するから。

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